横浜中田教会 説教要旨
12月3日
聖書    イザヤ書 第53章7−9節
       マルコによる福音書 第15章1−15節  
       説教題 「十字架につけろ」 杉山 悠世 牧師


              <説教要旨>

 イエスさまは最高法院で極刑を言い渡されましたが、ローマの属州であったユダヤの宗教指導者達に、死刑を科す事のできる権威はありませんでした。そこで、彼らは 「どうイエスを死刑にするか」 を話し合ったのです。その策略がローマ帝国に反旗を翻す政治犯として人々を扇動した嫌疑をかけて、イエスさまをローマ総督のもとに連れて行く事でした。ユダヤの宗教指導者達が、一人の同胞を妬みのために彼らが忌み嫌う異邦人に引き渡す、裏切りの行為でした。ピラトには、最高法院の訴えがでっち上げである事は容易に理解できました。属州の一総督であるピラトにとって、宗教的な争いに関与する理由はありませんでした。当初、ピラトはユダヤ人の内輪操めと、馬鹿にしていたのです。

 彼はイエスさまに対する同情なのか、最高法院の陰謀に巻き込まれたくないというわずらわしさからか、過越し祭の恩赦で群衆に 「あのユダヤ人の王を釈放してほしいのか」 と問い、イエスさまを解放しようとします。しかし、祭司長達の扇動で群衆はイエスさまではなく殺人グループの一人、バラバの解放を願います。群衆の中から「イエスを十字架につけろ」 と叫ぶ声がしました。次第にその声は熱を帯び、こだまします。ピラトはバラバとイエスさまを天秤にかけました。そして、法を捻じ曲げ、罪のないイエスさまを差し出し、十字架にかける事にしたのです。誰も、私はピラトではない、祭司長達ではない、群衆ではない、自分とは関係ないとは言えないでしょう。バラバこそ暴動をおこし、十字架にかかるはずだったのに、イエスさまが十字架にかかる事で、一命をとりとめ、解放されました。バラバは自分の命を助けるためには何もしていないのに、ただイエスさまの十字架によって救われたのです。このバラバも私達の姿です。あらゆる人間の罪があふれ、イエスさまを取り囲み、十字架へと追いやり、死に至らせました。しかし、その事によって、人間の罪深い業を用いて神のご計画が貫かれたのです。