横浜中田教会 説教要旨
9月24日
聖書 詩編 第94篇8−11節
マルコによる福音書 第13章28−37節
説教題 「目を覚ましていなさい」 杉山 悠世 牧師
<説教要旨>
「いちじくの木から教えを学びなさい」(28)と言われています。イスラエルの人々にとっていちじくは、私達にとってのあじさいのようなものです。いちじくの木に新芽を見つけると夏の訪れを感じたのです。イエスさまがこうおっしゃったのは、一つの季節が終わりを告げ、新しい季節がやってくるように、終わりの時が近づいていることを悟りなさいというのです。けれども、終末がやって来たとしても全てが完全に終わって、無に帰するのではありません。「人の子が戸口に近づいていると悟りなさい」(29)とも言われています。「人の子」はイエスさまです。イエスさまが再びおいでになられる。そして、その時にはいま私たちが目にしている世界は終わりを告げるけれども、新しい世界が到来するのです。いちじくの木の新芽を見て夏を感じるように、終末の前兆を見たら、再臨が近づいている事を悟るのです。私達は十字架を仰ぐ時、私達の罪のために苦しめられ、死に引き渡されたイエス・キリストの御姿を思い起こします。それだけではありません。十字架の死から復活された御姿をも思い起こします。私達も、永遠の命が約束され、キリストと共に到来する新しい世界、神の国に生きるよう招かれている事を知るのです。
終末の到来を悟った人はどう生きるのでしょうか。人生を享楽すればよいのでしょうか。常に終末を意識して不安の中生きれば良いのでしょうか。どちらも違います。主は私達に門番の役割をお与えになり、「目を覚まして」祈るようにと命じておられます。門番は一晩中見張りをしなくてはいけません。しかし幸いな事に、この務めは一人で担うのではなく「僕たち」に与えられています。旅に出た人は昇天されたキリスト、門番の役割を与えられた僕は、私達教会です。弟子だけではなく「すべての人」(13:37)への警告であり、良き知らせです。キリストはすべての人々に到来するからです。私達は、キリストの到来まで目を覚まして祈る働きを託されています。