横浜中田教会 説教要旨
10月21日

聖書    イザヤ書 第42章5-9節
     フィリピの信徒への手紙 第2章6-11節
     説教題  「確かなよりどころ」 笹野陽子 牧師

              <説教要旨>

*旧新約聖書は「初めに、神は天地を創造された」(創世記1:1)という言葉で始まり「主イエスの恵みが、すべての者と共にあるように」(黙示録22:21)の言葉で終わっています。

*「初めに」とは、ものの順序を時間でいう意味ではなく、信仰のはじめ(起源)を意味します。天も地も全てが神の御意志に基づき、あらゆる者の起源には神のみ心があると聖書は、はじめに語るのです。

*全てのものが、神の祝福のもとに良いものとして造られました。そして、天地創造の時に神と等しいお方キリストがそこにおられたと聖書は教えています。「御子はすべてのものよりも先におられ、すべてのものは御子によって支えられています」(コロサイ1:17)、「神は御子によって世界を創造されました」(ヘブライ1:2)

*神が造られ「全てが良い」と言われた姿を取り戻すことの出来るお方は、最初の良い姿を知っている御子キリストだけです。人間の本来の姿を回復させるためにイエス・キリストは来てくださいました。

*しかも「自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました」神と等しいお方、キリストは、ご自分では罪を犯されませんでしたが、罪を犯して罪と死とに支配されて苦しんでいる人間に変わるものになろうとされました。

*わたしたちの苦難や試練の時に、キリストが慰め、助けてくださることが、僕の身分になるということなのでしょうか。そうではなく神さまに対して罪を犯し、それゆえ、その責任を負わなければならないわたしたちの身代わりになってくださることが「自分を無にして僕の身分になり、人間と同じ者になられた」ということです。

*キリストは、十字架のみじめさに耐えるために人となられ、死よりの復活によって、私たちに神さまの祝福の下に生きる人間本来の良い姿を取りもどしてくださいました。天地を創造された神のみ心は、私たちが神に造られた本来の姿を取りもどすための愛に徹したお姿の中にありました。

*これは、神でなければできないことであり、そのみ業がわたしを目指して行われ、わたしのために人となってくださったのです。その主イエスの恵みが、今日もすべての人に与えられています。私たちは今日も私たちを愛してやまないキリストと共に恵みの中を生きるのです。