横浜中田教会 説教要旨
9月16日

聖書    コリントの信徒への手紙Ⅱ 第12章6-10節
     説教題  「弱いときにこそ強い」 笹野陽子 牧師

              <説教要旨>

*パウロは、イエス・キリストを宣べ伝えるために、外国にまで足を運びました。そして、いたる所に主イエスを救い主と信じる群れ(教会)が誕生したのです。

*しかし、大伝道師パウロには、「一つのとげ」が与えられて、それがパウロを痛めつけていました(7節後半)。この「とげ」とは、人々から忌み嫌われたり、さげすまれたりする病気だと思われます。(ガラテヤ4:14)

*この病気さえなければ、人々をつまずかせないでもっと大きな働きができるのにとパウロは思っていたことでしょう。ですから、パウロは、この病気を去らせてくださるよう「三度主に願いました」三度とは、心から真剣に懸命に祈り求めたということです。

*「主に願った」。パウロは主(イエス・キリスト)に祈りました。わたしたちのために十字架につかれた主、祈りを神に拒まれ、それがどのように辛いかを知っておられる主に祈ったのです。

*主は言われました。「私の恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」と。神の力としての恵みのみ業は、わたしたちの弱さの中でこそ十分に発揮されていると言うのです。どういうことなのでしょうか。

*ゲッセマネで、主イエスは十字架に向かう苦しみの中で三度祈られました。主イエスの祈りは聞かれませんでした。ある人は「主が十字架に架かることの中に『わたし(神)の恵みは十分に与えられている』という答えを主イエスは得られて十字架に向かわれたのではないか」と言っています。

*神の救いの恵みは、十字架につけられた弱き主イエスにおいて成しとげられました。死で終わる人間に永遠の命という恵みが与えられることが、弱さである十字架において起こったのです。

*パウロは、自分の病気が取り去られて強くなることが、神の恵みではないと知らされました。大事なことは、自分が強くなることではなく、主イエス・キリストが私の内に宿り、力強く働いてくださることだと知らされたのです。自分のとげばかり気になっていたのに、それは自分を弱くするものではなく、かえって救いの恵みの時とわかったキリスト者は、自分に与えられた試練を受け入れ、弱い時にこそ強い者となることができるのです。