横浜中田教会 説教要旨
10月17日

聖書    
       イザヤ書 第67章7-9節
       マタイによる福音書 第16章21-28節
       説教題 「自分の十字架を背負って」 笹野信治 牧師


              <説教要旨>

*主イエスは、弟子と共に、一旦、ガリラヤ湖の北の方向にあるフィリポカイザリア地方へと退かれました。それは、その静かなところで弟子たちに、一番大事な事柄を伝える時を持つためにこの地方へと赴かれたのです。

*その一番大事な事柄とは何でしょうか。主イエスがこの地上に来られた目的、それが一番大事な目的であります。その一番大事な事柄とは、自分がこれからエルサレムに向かうと言うこと、そのエルサレムで何が待ち受けているかと言うことと関係しています。

*自分はこれからエルサレムに向かう、しかし、そこで長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受けて殺される。そして、三日目に復活することになっている。そう、主は彼らに打ち明けたのであります。

*これを聞いて驚き、真っ先に、反応したのも、この時もやはりペトロでありました。ペトロは、主イエスを脇(わき)にお連れして、主イエスをいさめ始めたというのです。「主とんでもないことです。そんなことがあってはなりません。」(マタイ16:22)。ペトロは、主が予告された内容が自分たちの期待していた内容とはあまりにもかけ離れていたので、いや、全く正反対だったので驚き慌て、思わず主をいさめる行動に打って出たのであります。

*主は振り向いてペトロにこう言われました。「サタンよ、引き下がれ。あなたは私の邪魔をするものだ。神のことを思わず人間のことを思っている。」(マタイ16:23)。主が叱っているのは、人間的な思いにとらわれているペトロです。

*それでは、神の思いとは何でしょうか。それは、新約聖書によれば、御子がわたしたちの弱さを担い、わたしたちの罪を背負って十字架の道を歩むと言うこと。そのようにしてのみ、わたしたちのための救い主になると言うことです。

*それは、その頭に茨の冠をいただき、むち打たれ、辱めを受け、屈辱的と言うべき罪人の死を迎えると言うことで、人類の誠の王になると言うこと。それを神は選ばれ望まれ、御子は選び取り、喜んで、その道を進もうとされるのであります。そのような道こそ、神の思いであ
ったのです。