横浜中田教会 説教要旨
6月4日
聖書    
       詩編 第116編1-2節
       マルコによる福音書 第10章
46-52節
       説教題 「唯一の願い」 杉山悠世 牧師


              <説教要旨>

 

 バルティマイはイエス様に向かって 「ダビデの子イエスよ、わたしを憐れんでください」と、叫び声をあげました。人々にさえぎられ、叱られながらも彼は叫び続けました。すると、イエス様は立ち止まって、バルティマイを招かれました。イエス様は彼に 「何をして欲しいのか」 と尋ねました。具体的な彼の願いを、彼自身の口を通して聞こうとされたのです。バルティマイにとって、願いを口にする事は決して簡単な事ではありませんでした。長い間叶えられず、苦しみ、絶望し、神に期待する事すらしなくなっていたからです。失意が彼の心を支配していました。けれども、バルティマイはイエス様に出会って、絶望を希望に変える神の力に対する信頼を取り戻しました。長い間待ち望んでいた「ダビデの子」、メシア(救い主)が今、彼の目の前にいるからです。誰にも言う事のできなかった、誰もが「どうせ無理だ」と思って行った願いをイエス様の前に注ぎだしました。するとすぐに、目が癒され、見えるようになりました。
 「あなたの信仰があなたを救った」。バルティマイの熱心さが癒しの奇跡の根拠ではありません。誰にも言う事のできなかった、諦めていた願いを、ただイエス様に信頼して告白したその言葉を、イエス様は信仰告白として受け取ってくださったのです。私達を苦しめる根源は叶わぬ願いではなく、願いを求めるべき方、救い主を見失っている事です。イエス様は弟子たちに、子どものように神の国を受け入れる者でなければ、そこに入る事はできないとおっしゃいました。子どもは自分を守ってくれる存在に、ただ委ねるほかないのです。バルティマイは赤ちゃんが泣くように、ただイエス様に叫び続けました。イエス様はその叫びを、喜んで聞いてくださいました。イエス様こそ神の子、救い主です。私達がどんな状況にあっても救い出す力と憐みを持っておられます。主に信頼して、私達も子どものように叫び、祈り続けましょう。