横浜中田教会 説教要旨
8月19日

聖書    申命記 第6編1-9節
     フィリピの信徒への手紙 第2章5-11節
     説教題  「救われて生きる」 笹野陽子 牧師

              <説教要旨>

*私たちが信仰生活をしていく時に、讃美歌が大きな力となり慰めとなったという経験をした人は多いのではないでしょうか。

*フイリピの信徒への手紙第2章6節から11節の言葉も、パウロが、この当時歌われていた讃美歌を、この手紙に書き込んだと言われています。イエス・キリストがどのようなお方なのか、教会で教えられた信仰が讃美歌となって、礼拝で歌われていたのです。

*讃美歌の一番最後に、私たちの教会では「アーメン」と言います。これは、「そのとおりです」という意味です。神がキリストをとおして私たちになさったことと、神が私たちに語りかけてくださったことに「アーメン。そのとおりです」と声をあわせる。これが神をほめたたえる、賛美することなのです。

*わたしたちは、何事も問題がない平穏な時は神を賛美することができても、困難や苦しみの状況の中で、神のなさることをアーメンと受け入れて、神に信頼し、自分のすべてを任せて生きることができるか。主イエスを私の救い主と告白できるかどうか。これが信仰に生きるときにとても大切なことであります。

*神のなさる事にアーメンと言えないのは、自分の願っていることを神はかなえてくださらないと思う時であり、又、神がわたしになさることは十分ではなく不完全なものであり、自分の力で何とかしなければならないと思う時です。

*神は、私の願いをかなえてくださるのが当然。神の御計画より自分の計画が成ればよい。すべての良き賜物は神の恵みによって与えられたものであることを忘れて、神がほめたたえられるより自分がほめたたえられることを望む。これが、わたしたちの思いではないでしょうか。

*キリストが神の御子でありながら、人となり僕となって十字架にまでついてくださったのは、何のためであったのでしょう。神を神としない、それゆえに、傲慢で神に対しても人に対しても平和に生きえない、わたしたちの罪を贖って救うためであります。

*キリストの十字架によってわたしたちに与えられた、この救いを受け入れて生きる信仰者は、どんな時にも恵みの神に信頼して、共に一つの心になって教会に生きはじめます。神のなさること、神のみ言葉に「アーメン」と言葉をあわせます。「主イエスは私の救い主」と告白して神を賛美しながら生きる者とされるのです。