横浜中田教会 説教要旨
1月26日

聖書    コヘレトの言葉 第5章17-19節
     マタイによる福音書 第6章24節 
     説教題 「仕えるべき方は」 笹野信治 牧師

              <説教要旨>

*今日の聖書箇所は「だれも、二人の主人に仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛するか、一方に親しんで他方を軽んじるか、どちらかである。あなたがたは、神と富とに仕えることはできない。」(マタイ6:24)です。ここには、主題としてわたしたちの心を占めるものの代表的なものが描かれています。わたしたちの心を占めるもののその代表的なもの、それは富だということです。

*わたしたちの心を占めているもの占有しているもの、それが文字通り、わたしたちの心を支配するようになります。そのわたしたちの心を占めているものが、わたしたちの心を独占するようになります。心を占めているものが、心を支配すると言うことは、すなわち、わたしたちが、自分の願い、願望、欲求の奴隷になってしまうと言うことです。

*神に仕える人生を歩むものか、富の奴隷として人生を費(つい)やす者になるのか、それをここで改めて問われていると言うことになります。その場合、そこで起こっていることは、富というものがいつの間にか、神に変わる位置にのし上がっていると言うことでしょう。

*では、この神にまでのし上がってしまった富は、わたしたちに何をしてくれるのでしょう。それは、わたしたちの人生を本当に保証してくれるでしょうか。試みに会わせず悪から救い出してくれるのでしょうか。いや、むしろ、その逆に、人間を奴隷としている富の神は、もっと多くの誘惑にさらし、もっと多くの試みの中に突き落とし、悪を遠ざけるどころか、むしろ、悪へと人間を誘い込むのではないでしょか。

*しかし、わたしたちの仕えるべき本当の神である主人は、人間をそのような目には遭わせません。そして、わたしたちは、本当の神である方に、「試みに会わせず、悪より救い出し給え、み心がなりますように、このわが身においても、我が家族、我が家庭においても」とそう祈るのであります。そして、この神のよき支配をもたらした方、今も、もたらしてくださる方こそ、聖書の証しする、わたしたちの主イエス・キリストに他なりません。

*神のよき支配こそ、この世においてもまた、新しい世においても、わたしたちにとって命の源だからです。生きる時も死ぬ時も、わたしたちを本当に慰めることのできる唯一の力だからです。人生において、一番大事なとこと、それは、真の神に出会うと言うことです。