横浜中田教会 説教要旨
10月13日

聖書    詩編 第17編6節-8節
     マタイによる福音書 第6章5-6節 
     説教題 「あなたは誰に向かって祈るのか」 笹野信治 牧師

              <説教要旨>

*ユダヤ人にとりまして、信仰深く立派な人物であると認められる善い業として、①貧しい者に施しをすること。②熱心に祈ること。③断食をすることがあげられます。そのこと自体は確かに立派な行いですけれども、それを人に見せびらかすためにするのであれば、それは人に見せるための偽善行為ということになってしまうでしょう。

*主イエスは、この施しをすると言うことに続きまして、二つ目に祈るという行為を取り上げます。6:5「祈るときにも、あなたがたは偽善者のようであってはならない。偽善者たちは、人に見てもらおうと、会堂や大通りの角に立って祈りたがる。」(マタイ6:5)そう主イエスは、語られます。

*ユダヤ人は朝9時と昼の12時、そして午後の3時に、その定刻になりますと何処でも何をしていてもその場で祈るということが、義務付けられていました。ユダヤ人の場合は、立ったままで、天を仰いで祈るということが行われおりました。どこにいてもということですから、広場にいてもということになりますけれども、広場において、そこで祈るのは敬虔なユダヤ人だというふうに人々から見られていたのです。

*主イエスの時代には、ファリサイ派の人々はこういう行動をこぞってしたのです。自分はこれほど熱心で、また、立派な人間なのだと言うことを示したのであります。祈りは、本来、神さまに向かって思いの丈を打ち明ける、述べると言うことですから、その心は神に向かっているはずであります。ところが人に見てもらおうと祈るという場合には、心は周りの人々に向かっています。

*私たちも、時折こうした祈りに陥ってしまうことがありますから、お互いに気をつけなれればなりませんけれども、祈りをもって人の機嫌を取る必要はありません。なんと言っても祈りは人に対してではなく、神さまに捧げる、自分の思いを神さまに訴え、思いの丈を述べると言うことです。

*そこで、主イエスは弟子たちに「だから、あなたが祈るときは、奥まった自分の部屋に入って戸を閉め、隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父が報いてくださる。」(マタイ6:6)と言われました。

*私たちの教会では、聖書研究祈祷会では、〈この方を覚えて〉 と週報に名前をあげてその方々を覚えて祈っています。そのことも大切なことですけれども、しかし、まず主イエスはその基本に、神さまに向かって1対1で祈るということを求められているのです。