横浜中田教会 説教要旨
8月27日
聖書    
       ミカ書 第6章6-8節
       マルコによる福音書 第12章
38-44節
       説教題 「神の御前に生きる者」 杉山 悠世 牧師


              <説教要旨>

 

 聖書には二つの対照的な話が記されています。律法学者と貧しいやもめ、社会的立場が対照的な両者が比べられるようにして語られているのはなぜなのでしょう。それは、わたしたちの信仰者としての生き方、神さまとの関係性を問うためです。イエスさまは律法学者を批判するために、「律法学者に気をつけなさい」とおっしゃったのではありません。「教え」の中で語られているのですから、教えを聞いている人々も律法学者のように神さまから遠ざかって、人の目や評価を気にして生きる誘惑に遭うことを指摘されているのです。
 やもめは寮銭箱に、「生活費を全部入れ」ました。神さまへのささげものとして全てを差し出したのです。それは、単にささげた金額の割合の話ではありません。「生活」をささげたのです。献金の祈りで「感謝と献 身のしるしとして」 と祈ります。お金をささげたらそれで良いとか、いくらささげれば良いとか、所持金の何割ささげれば良いというのではありません。イエスさまはわたしたちの心が、生き方がどこに向かっているのかをご覧になっていらっしゃるのです。
 多くの人から見れば、やもめの献金は微々たるもの、はした金だったかもしれません。しかし、神さまの前に誠に信頼と愛を持って生きる人は、人から評価に捕らわれず自由です。神さまに信頼し、希望を持って いるからこそ、持っているものすべてを、生活をおささげすることが出来たのです。
 イエスさまは、人からの評価やまなざし、あるいは金銭や物に捕らわれて、愛をなくしてしまっている人間、神さまを忘れてしまっているわたしたちたちのために十字架におかかりになりました。わたしたちの命は、イエス・キリストによって贖われたた新しい命です。キリストの愛に応えて、わたしたちも心を込めて、自分自身を神さまにおささげしましょう。